建て前も、覚えてみたけれど…
こんばんは。心理カウンセラーのキタダハルキです。
私、それこそ生まれ持っての?ものなのかも知れませんが、今までの人生、ほんっとウソがつけずに(建て前とかも含む)生きてきたんですよね。思ったことはホイホイ、口にしてしまってましたし、それこそ、言わんでいいことをわざわざ言ってしまってトラブルになることもしばしば…。
で、このままではいかん、と思って、会社員時代は「建て前」というものを覚えました。本音では「クソ」と思っていても、みんながいいと思っていたら、とりあえずいいって言っとく、みたいなね。その結果、やっぱり私には向いてなかったのかものすごいストレスがかかって、抑うつ症の遠因になって、結局はそういう建て前を止めたんですが…
このことが、人生において「効いたな」と思うんですよね。どういうことか、お話ししていきますね。
目次
■建て前を使っていると、客観的な評価がなされなくなる。
建て前が一番厄介なのは、客観的な評価がなされる状態になくなってしまう上に、たいがい「過大評価」になることが多いから、その環の中にいると「井の中の蛙」っぽくなって、実力不足のままになってしまうこと。言ってしまえば、建て前は「ウソ」みたいなもん。どうしても勘違いの元になってしまうんですよね。
結局、以前の会社で上司がのさばるようになってしまっていたのも、みんながみんな、腫れ物に触るように、無理くり「イイところ」を探そうとした結果、なんですよね。本音から評価してる人なんて、いませんでしたもんね。陰ではかなり悪口、言われてましたしね…。
■建て前グセがついていると、本音に向き合えなくなってしまう。
だから、そういう「建て前」を使う癖がついていると、どうしてもそういう人に囲まれやすくなって、本来の自己よりも「過大な」評価を得てしまうんですよね。
で、うっすらとですけど、そのことは自覚症状があるんですよね。例えば、ちょっと非難されると、激昂してしまったりね。そういうのって、やっぱり強いストレスになってしまいますから、結局「建て前」であってもそういう慰みみたいなものがほしくなって、ズルズルと行ってしまう…。
…これじゃぁ、やっぱり成長していかないですよね。
■「正当な評価」は、建て前を止めれば集まる。
その一方で、建て前を止めると、そういう建て前使いは離れていきます。
すると、周りには「正直に」言ってくれる人が集まるんですよね。これが本当に大事で、客観として参考にしていい意見が集まるようになるんですよね。そうすれば、仮に現状が行き詰ったとして誰かに助けを求めても「ヘンな慰み」みたいなものでごまかされずに、解決できる方向へと導かれていくわけです。これこそが、正当な評価に繋がっていくんですよね。
よく、正直者はバカを見る、とか言うじゃないですか。あれ、私は逆だと思ってます。むしろ、正直者こそ、最後は信頼を勝ち取ることができると思います。真摯に現実に向き合うことが、王道ですけどやっぱ大事だと思うんですよね。
★現実に向き合うためには、この内容も大切です…。