仕事ができない、と自称する必要なんてない。
こんばんは。心理カウンセラーのキタダハルキです。
私自身、会社員時代のことを思い返した時に今思うともったいなかったな、と思うことがありましてね。
そのもったいないこととは、自分自身を「仕事ができない」と自称していたこと。
実際問題、たしかにあの当時の状態を、私は「仕事ができる」とはよう表現しません。数字上も、メンテナンスで仕上げた数は少なかったし、なおかつやり直しになる回数も多かったし、もっと言うとやり方を間違える回数も多かったわけでね。
ただね、ここで「仕事ができない」と自分で烙印を押したことが余計にアカン流れを生んだ、と言いますかね…。今日はそんな失敗談と、そっから学んだことをお話しします。
目次
■仕事ができない、と自分で言うと…
まず、仕事ができないって自分で言ってしまうと、本当にそうなってしまう、というか。
本配属が始まってからの3か月ぐらいのことを思うと、それこそ坂を転がり落ちるように私の状態は落ちていきました。仕事がうまくいかずに、だんだんそのことを愚痴るようになっていったんですよね。
これがまたよろしくなくて、無意識のうちに、慰みを求めてしまっていたわけですよ。辛いから、せめてそれぐらいはほしい、みたいなね。 これで同期を困らせるようになってしまったんですよね。
■慰みばかりを求めた結果…
すると、だんだんエスカレートしていくんですよ。仕事ができる瞬間に巡り合えないがゆえに、慰みばかりがほしくなるというかね。
いわば、仕事ができるようになるよりも慰みを求めている方が楽だったから、そっちに流れていってしまったんです。つまりは、仕事ができるようになる姿勢を放棄して、慰みを待ってしまっている、って状態ですね。
この集大成が、こちらの記事でお話しした事件、ですよね…。今思い返してもゾッとしますね…。結果的に、当時の彼女に着拒されたことがさらにダメージを深くして、抑うつ症を引き起こしてしまったわけで…。
kantanstresskaisyou.hateblo.jp
■仕事ができないなんて言ってる人間に「仕事」は来ないから…
ただ、この出来事が結果的に目を覚まさせたな、とは思います。
抑うつ症が治った後は、同じ轍を踏んだらアカンと思って自分で道を切り開く方に行きましたから、自然と「仕事ができない」とか自分で言うことがいかにヤバいか、ゾッとすることか、っていうのが身に沁みましたからね。そんなことを自分で言ってるヤツになぜ仕事を依頼せなあかんのか、ってことになりますし。
で、そういう慰みを求めなくなったら、勝手に仕事はできるようになっていきましたね。仕事をなにがなんでもやる、そうせざるを得ない方に持っていったら、能力が目を覚ましてくれた、って感じです。
だからこそ、私はまず、仕事ができない、ってことを口に出すことからやめてみるのをおススメします。やっぱり、それを口にしていて仕事ができるようになる可能性はないですもんね。慰みを求めることを放棄するだけでも、あなたの中の強さが目を覚ましてくれると思いますよ。
★慰みは、実はなくてもやっていけるでという一例がコチラ。