過去は過去で、全力だったはず。
こんばんは。心理カウンセラーのキタダハルキです。
いきなりなんですが、昨日すごい発表がありましたね!KICK THE CAN CREW復活。新作発表…。個人的に「復活」の流れってあんま好きじゃないんですけど、音源を聴いた瞬間にキタ!って思いましたね。ほんと、これだよこれ!っていう身体の中を血が巡るような感覚がありました。
※ちなみに私、はてなで音楽のブログも持っているんですが、先日「某団体」からお達しがあった(てか、アクセス一日100ない日もあるブログもクロールしてるなんてどんだけヒマやねん、と)のをきっかけに非公開にしております。権利的にいけるブログサービスでもういっぺんやってみようか、とか考えております。
さて、それはさておきこの新作、「千%」の歌詞の中で「これ、すげー大事やんなぁ」と思うフレーズがありましたので、今日はそれを題材にお話ししていこうと思います。
■あの日もあの日も、俺の本気は噓じゃない。
そのフレーズっていうのが…
あの日もあの日も俺の本気は嘘じゃない
っていうもの。(歌詞は耳でとったものなのでもしかしたら不正確かもしれません)これ、ほんと大事だと思ってましてね。
心理学と絡んでいると「一気にうまく行く人」を目にする機会が多くなるんですよね。過去の自分自身の中にあった「盲点」に気づいて、その見えてなかった部分が開いたことをきっかけに、現実が一気に前進する、ってのはそれこそ、日常茶飯事。もちろん、これ自体は悪いことではないです。
そう、悪いことではない、んですけどね。同時に気になることもありましてね。
■いまうまく行った=過去は「間違い」?
その気になること、っていうのが、うまくいったと同時に「過去は間違いだった」ってなってしまう人もすごく多い、っていうこと。それこそ、なんてバカだったんだろう、とか、過去の私に対して強い殺意を持っているぐらいのことを思っていたりとか…
つまりは「過去の自分はバツ、今の(何らかのきっかけで)生まれ変わった(と思っている)自分がマル」ってな感じのことを思っている人が多いよなぁと思うんです。
こういう考え方に触れると、果たしてホンマにそうか?って訊きたくなるんですよ。
■過去は過去なりに、本気で生きてたんちゃうの?
過去の自分って、そんなにちゃっちい、手抜きの人生送ってたのか?そりゃ今に比べたら辛かったのかもしんないけど、そのときなりに自分自身は「本気」で生きてたんちゃうんかい、って思うんですよ。
私は抑うつ症になったり、ビジネスをぶっ潰してしまったり、客観的にみたら全然ポジティブではない出来事もあったけれど、そのときの自分が間違っていた、とは全く思わないし、全力で必死にやっていた結果、だと思うんです。
私は、その「必死だった自分自身」も大事にしてほしいと思うんですよね。いまは変わったのかもしれないけど、過去から積み重ねてきた「延長線上」にしか「いま」はないわけじゃないですか。
■いまの自分は、今までの自分自身が選び取った積み重ね。
いまの自分が最高。
それはそれでいいと思います。むしろ、それは私も思っていますしね。でも、それは今までの自分自身が選び取ってきたすべてがもとになっているからこそ、繋がってきたんだ、ってことはマジで何度でも思い直したいし、伝えていきたいと思います。
過去も、いまも、そして未来も、「千%」で生きて、後から振り返っても「必死に」やってたな、って思える人生。そんな生き方をこれからもしていきたいな、って思うんですよね。
…って思うと、あの100アクセス前後のブログにクロールしてきた彼らも、「千%」で仕事をしている結果、なのかもしれないですね。