矛にも、盾にも、それぞれの心意気がある。
こんばんは。心理カウンセラーのキタダハルキです。
突然なんですが…皆様は故事の「矛盾」のエピソード、ご存知ですかね?
なんでも突き通す矛と、なんでも守れる盾…じゃぁ、同時に使ったらどうなるのか、っていうヤツ、ですよね。これ、確実にどちらかが成立しないのは間違いないですよね。
ただ、私が今回着目するのはそこではなくて…その結論が出た後、なんですよね。この故事をふと思い返して気になったのは、「だったら、一方は全部間違ってるの?」ということです。今日はそういうお話しを…
目次
■白黒思想は、人間関係をゆがめる第一歩。
一方が完全に合ってて、一方が完全に間違っている。
こういう白黒思想って、人間関係を歪める第一歩です。
矛盾のエピソードだって、矛と盾の強度関係という点では確かに正しい結果が出た、と言えるのかもしれないけれども、それによって「いいものを作ろうとした心意気」みたいなものまで否定されるような印象まで受けてしまうのが何とも腑に落ちないのです。
…こういうこと、現代社会でもよくありますよね。
「お前の意見は間違っていて、オレの意見は正しい。だってお前の意見はここが矛盾しているじゃないか!」というようなやりとり。
正しさばかりに焦点が当たっていて、他の意見や見方などお構いなし。これではいくら結果として正しかろうが、息苦しさを周囲に与えてしまいますよね。
こういうことを続けていると、最終的には、正しいはずなのに人望がなくて、「どうしてわかってくれないんだ!」と一人でわめき続けるいうような皮肉な状況を招いてしまいます。
■合わない相手の中にも「丸」がつくポイントがあるということ。
では、どうしたらこんな状況にならないで済むのでしょうか?
それは、どんなに合わない相手の中にも、自分自身の共感できる「丸をつけることができるポイント」が存在しているという視点で見ることです。
基本的に、人が持つ意見がすべて間違っていることなどないんですよね。例えば桃太郎の鬼だって、自分自身の大切にしているものを守ろうとした結果桃太郎と戦ったわけで、別に桃太郎は絶対善ではないわけでね。
そのように感じることが出来れば、少なくとも「相手が間違っている」というような狭い視点での思い込みは崩すことが出来ると思います。このような小さなステップの積み重ねが、「尊重」に繋がっていくのです。
■自分が「正しい」はずなのに、孤立してしまっている…というあなたへ。
人間、どうしても「正しい」って思いたかったり、思われたかったりする生き物。本能的に、「自分自身が間違う」のはイヤだと思って当然。ですが、その結果白黒つけなきゃ気が済まないようなマインドになると、周囲に圧迫感を与えてしまって、その「圧迫感」が間違いのもとになってしまうんですよね。
だからこそ、今、自分は「正しい」はずなのになぜか孤立してしまっている、わかってもらえていない…と感じている方がいらっしゃいましたら、まずは対立する相手の「丸」を探してみてください。
「バツ」の矛を相手に振りかざして、わざわざ独りぼっちになるのは、もったいないことです。
★寛容なモノの見方を身につけるには、こういう考えも大切。