私の望みって、実はコレだった…。
こんばんは。心理カウンセラーのキタダハルキです。
今日は、昨日ふと思ったことを記事にしたいと思います。私が料理をするようになってから約1年ぐらいですかね。なんというか、望みが叶っているなー、って感覚があったんですよね。
その望みっていうのが「毎日、おいしいご飯が食べたい」っていうこと。
今思い返してみると、私の人生の波とご飯の状態って、結構連動しているというか。実は、私が人生で初めて長くお付き合いをした方との時間でもっとも楽しかったのは「一緒にご飯を食べているとき」だったんですよね。デート以上にそこを楽しみにしているようにも見られていました…(苦笑)。
では、その望みが「叶っていないとき」、私がどうなっていたのかというと…
目次
■私の食が「どん底」だったとき…
私の食がどん底だったときは…まず、好きだったヨーグルトを「電車で催したら困る」との理由で敬遠(遠いところに勤務していました)。お昼はワンパターンなコンビニなどの外食、おやつももちろんコンビニ。で、疲れ果てて帰ってきて味わう余裕もなく晩御飯をかき込んで、就寝。その繰り返し。
…もうおわかりかもしれませんが、この集大成が私の抑うつ症、です。(この記事でもチラッと話しましたかね)
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■休職してから、まず「食」を取り戻し始めた。
で、休職するようになってから、まず実家メシになって体調が回復し、今の奥さんと付き合い始めのころも「好きなモノ」を積極的に食べる、ってことでだんだん気持ちが豊かになっていき、そして結婚後「家事」にトライするようになってだんだん、自炊に興味が出てきて、そのトライの連続をしていたら、気づいたら食べたいものが毎日食べられるように…ってなってきたんですよね。
そうやって食を毎日楽しむようになってきた集大成が、こちらの記事でお話ししたような出来事だった、というわけです。
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■せめて「一食でも」いいから。
ご飯は、文字通り命の源なんやなぁ、と思います。
結局は、自分自身の力だけで身体を作っているわけではないですから、食べているものは当然大事になってくるんですよね。ただ、時間に追われていると、どうしてもご飯の優先順位が落ちて、テキトーなものになってしまいがち。
これは体感したからこそ言えますが、ご飯のテキトーさ加減は、身体に跳ね返ってきます。反対に、ご飯を大事にしていれば、身体にとってそれだけ大きなリターンがあるってことでもあります。
だからこそ、せめて一食だけでも、本当に食べたいものを食べる、ってのを大事にしてみてほしいなぁ、と思うんです。それだけでも、身体も心もだいぶ豊かになっていくと思うんですよね。
★せめて一食…というような、小さいストレス解消が大事なんです…