いつなんどきも、自分なりになんとかしようとしているもの。
こんばんは。心理カウンセラーのキタダハルキです。
私のブログでは、やはり会社員時代のことを振り返りながら書くことも多いんですが…こんだけ振り返ってても「あぁ、こんなことあったなぁ…」ってことを思い出したりします。
で、いまのいま思い出したのが…実は、私は「自己防衛」をやってたな、ってこと。
つまりは、体調が悪かったら、会社を適宜、休んだりはしていたなってことを思い出したんです。
一見、当たり前のことかもしれませんが、私にとっては結構大きいことで。
というのも、どっちかと言うと、もっときちんと休んだりしていれば、抑うつ症にならなかったんかなぁ、とか思っていましたからね。休職以外でも会社を休んでいたことなんて、すっかり忘れていたんですよね。
このことを思い出したことによって、とある「気づき」があったんですが…今日はその話を。
目次
■自分なりに、なんとかしようとしていたのだ、と。
その「気づき」っていうのが、会社員当時の自分も、意外と自分なりに現状をなんとかしようと頑張っていたんだ、と思い直せたこと。
今までの私は、抑うつ症になって治すために「休職」したことについては「よくぞ会社から逃げた!」ぐらいのことは思っていたんですが、その「抑うつ症になったプロセスのこと」については正直、ほとんど全否定に近かったんですよ。
無理してたから抑うつ症になったんや、としか思ってない状態でしたからね。
■間に挟んだ欠勤があったからこそ「抑うつ症」で済んだともいえる。
だけど、とりあえず、たまに会社を休んだりしたらなんとかなるのかもしれない…と考えて、ホンマにムリなときは出社しない、欠勤するって形を取って、身体を休ませる段階へと舵を切りかけてはいたんですよね。
もちろん、最終的にはなんとかならなかったから抑うつ症になったわけですが…
よくよく考えたら、間に挟んだ欠勤がなかったら、私の抑うつは「うつ病」へと段階が重たくなっていたかもしれないわけでね…。
■後悔の歴史の中にも、なんとかしようとした跡はある。
だからこそ、もしいま体調を崩して会社を休んだりしている…って状態だったとしても、自分を責めたりする必要はないで、って思うんですよね。
休むって決断をしたのも、なんとか会社を続けていけないか、って試行錯誤したのも、よりよい形にできないか、という思いやりの上に成り立っていることだと思うんですよね。
あのときあぁしていれば…みたいな後悔って、誰しもあるものだと思います。
ただ、その後悔の歴史の中にも、なんとかしようとした跡ってのは見受けられるモノなんやな、と今回の思い出しで感じたんですよね。
そういう意味では、すべては最善で成り立っているのかもな、と思うんですよね。
★その歴史を認めた結果が、ここに繋がってます。