気を利かせたつもりなのに…
こんばんは。心理カウンセラーのキタダハルキです。
あなたの周りにも、いわゆる「気の利く人」っていると思います。いつも気が付いて、いいタイミングで助け舟を出してくれたり、うまく先回りして、仕事がやりやすいようにしてくれる…とってもありがたい存在、ですよね?
ところがその一方で、気を利かせようとしているのは分かるんだけど、なんかスベッてるというか、うまく助けにならない…むしろ、「おせっかい」だと疎まれる…そんな方もいますよね。
例えば、鍋奉行などがいい例です。頼んでもいないのに、さも気が利くかのように仕切ってきて、結局、食べたいときに食べたいものが食べられない…こんなん、イヤな思いしかしないですよね。
それでは一体なぜ、このような「差」が生まれてしまうのでしょうか?そこには、とあることがらの「理解」に差があったんです…
目次
■気が利く、って評価は「相手」ありき!
その「ことがら」とは、気が利く、っていう評価が「相手」の評価があって初めて成立する、ってこと。これを理解しているか否かで、「気の利く人」か「おせっかい」か、評価が分かれていくんですよね。
鍋奉行の例でお話ししましたけど、気を利かせようとする方は、気が利くということを自分のステータスの一部にしようとして、その評価を相手に強いてしまっているんですよね。自然発生的でない、と言いますか。
■気が利くと「言わされる」のって超不快。
だから、される身としては「気が利く」って言わされているような空気になって、イヤな気持ちになるんですよね。他人のためにやっているように見えて、自己顕示(ex.ほら、気が利くでしょ私!?)のためにやっているんだなと思われるのがオチです。
…こんなことになるなら、やらん方がマシですよね。
気が利くことは、相手がどう思うか、ってことありきです。つまり、自分でどうにかしようとするものではありません。ここは本当に本当に大事です。
むしろ、人は「いい評価を強制される」ことに対して強い嫌悪感を抱きます。実際の意志とそれが乖離していればいるほど、その嫌悪感は強くなります。要は「おせっかい」って、思ってる以上に嫌われるんですよ。ここも非常に大事。
■相手の意向を聞きながら、無理なくやればOK。
ですので、気を利かせようと考えすぎなくてOKだと私は思います。やるとしたら、相手の意向を聞いてから「やっときましょうか?」ぐらいの提案をする。これぐらい「軽く」ていいと思います。要らなきゃ断れるぐらいのフィーリング、ってのを覚えておくといいかと思います。
どうせなら、気を利かせたときに、喜ばれたいじゃないですか。だからこそ、自己判断で無理をして頑張りすぎずに、相手の意向を聞きながらやっていくのがいいと思います。
★おせっかいにならないためには、この記事も役立つかと思います。