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大丈夫。会社、辞めても生きていけるで。

就職浪人してまで入社した会社を、抑うつ症のためわずか9か月で退職した私が、会社に所属しない道を選び、独立してメシを喰っていけるようになるまでに大事だなと思った心構えについて綴ったブログです。

「踏ん張り所」と「無理・無茶」の違いって、いったいどこにあるのか。

踏ん張った方がいいのか、無理・無茶だと止めた方がいいのか。

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こんばんは。心理カウンセラーのキタダハルキです。

今日は、「踏ん張り所」と、「無理・無茶」。この違いってなんですか?ってなことをよく聞かれるので記事にしておきたいと思います。

これらを判断しなければならない状況が訪れるタイミングは非常によく似ています。つまるところ、色々と限界付近に来ているとき、です。ただ、字面でわかるとは思いますが、すべき対処は「真逆」。だからこそ、できる限りこのタイミングでの判断ミスは避けたいところ。

踏ん張りどころで投げだしてしまうと「できなかった後悔」にいつまでもさいなまれることになりますし、無茶なタイミングで無理をしてしまうと心身がぶっ壊れる可能性が高くなってしまいます。

そこで、「踏ん張りどころ」「無理・無茶」どちらの判断もなんとか無事に乗り越えられた経験から、ひとつの判断基準について、お話ししていこうと思います。

■限界を越えれば、いい景色が見えると本気で信じられるか。

判断基準については、とてもシンプルなモノ。

限界を越えれば、いい景色が待っているってことを本気で信じられるのかどうか。ここだけでいいと思います。信じられるなら、踏ん張って、そうでないなら、無理をせずに撤退する。これぐらいにシンプルな基準にしておく方が、物事に迷いが少なく決まります。

なんせ、できる限り判断を遅らせてはいけないぐらい切羽詰った状況になってることがほとんどですからね。私の例でお話しします。

■「無理・無茶」という判断をしたのはこんなとき。

まずは私が、「無理・無茶」だと判断した例について。

コレはもう文字通りです。前職のときの私は、やりたくないなぁ…って気持ちが主で、仕事に対して後ろ向きになっている状態で、怒られながらなんとかやり過ごしてお金だけもらうという、苦しい我慢をしていました。

そんな折に、ふと気づいてしまったんですよね。

将来的にも、ずっとこんな感じなのか?と。今まで勉強とかそこそこ頑張ってきたのに、末路は「怒られることと引き換えでお金をもらうだけ」の人生か?今のままなら、窓際族にすらなることができずに終わるんじゃないか?

…その結果、私は抑うつ症になったわけです。キャリアイメージなんて一切できず、会社に貢献できない(する気がなかった)し、このままの流れで生きるのは「無茶だし無謀」だと思ったんですよね。だから、退職って方向性はかなり早い段階で決まりました。

■「踏ん張りどころ」だと思ったのはこんなとき。

その一方、踏ん張りどころだと思った例はというと…

実は私、この仕事を始めて半年ほど、収入が「0」でした。いわば、手当だけでなんとか踏んばっているような状態でした。今だからこそ、こうやって話せますが、まぁしんどかったですよ。精神はギリギリでしたからね。

だけど、会社を先述の抑うつ症でパッと辞めた以上、私には「未来を信じる」以外の選択肢がなかったわけですよ。だから、グッと踏ん張って続けよう!と思えたわけです。つまるところ、ここで辞めたら、それこそ死んでしまうぞ、と思っていたんですよ。そしたら、チャンスが来て徐々に軌道に乗り始めた、って感じです。

■しんどいときこそ、主導権は自分で握っていなきゃいけない。

しんどいなぁ、辛いなぁってタイミングは誰しも訪れるものだと思います。今振り返っても、運命の分かれ道だったなぁと思います。逆の判断をしていたらどうなっていただろう…ってゾッとします。

つまりは、しんどいときに迫られる自分の判断ってすごく重要なキーを握っていることが多いんです。だからこそ、生きるために後悔をしないような判断をすることが大事だと思うんです。

私自身、カウンセリングでこの判断について、それがやりやすくなるように「一緒に考えて」は行きますが、最終判断は必ず「クライアントさん自身」でやっていただくようにしているんですよ。後悔しない決断を自分でできる力を育てていくことが、生きやすくなる道だと思いますしね。

しんどいときこそ、自分の人生の主導権を誰かに渡すんじゃなくて、自分で握っていなきゃ。

そんな風に、私は思うんですよね。