そういえば、意識したことがなかったかも?
こんばんは。心理カウンセラーのキタダハルキです。
いまふと思ったことがありましてね。そういえば、私の抑うつ症って完治したんだろうか?ってね(笑)。先生からは「もう来んで大丈夫」と言われはしたものの、いわばあくまでそれは「寛解」って話だと思いますし。
もっとも、向精神薬はもうずーっと飲んでませんし、なくても大丈夫だし、まぁ治ったんだろう、と自分では思っています。ぶっちゃけ、今の感じで大丈夫だと無意識でも思っていたから「完治」とか意識しなかったんだと思います。
私、こういう「ラフ」な考え方が結構大事だと思ってましてね。こういうテキトーさが精神をラクにした、って側面はかなり大きいんですよ。今日はその「テキトー」さが良かったって話をしていきたいと思います。
目次
■抑うつ症が治った証拠なんて「ない」。
さっきも言いましたが、抑うつ症が治った、っていう証拠っていわば「ない」んですよね。そりゃ先生には来んでいい、って言われはしたけれど、もしそれで自分自身が不安を感じていたなら、別の病院で診てもらう、とかもできたわけで。
でも、それをしなかった。なぜなら、自分としてはもうええかぁ、って思っていたから。つまりは、先生の意見も参考になっているとはいえ、結局は自分自身の感覚で決断したわけです。
■自分がイケてると思えばイケてるし、そうでないならイケてない。
もし、今の私の状態を見て、どっかの誰かが「うつっぽい」とか「病んでいる」とか言ったとしても、私自身がそれを採用することはないでしょう。だって、自分自身の感覚では今の状態こそがOKだから。
この自分自身の感覚が大事で、自分がイケてると思えばイケてるし、そうでないなら他人がどんだけイケてると言おうがイケてないんです。ここに明確な証拠なんていらないんですよ。
ただ、そう思っただけ、っていうシンプルな動機で構わないです。
■一生懸命「証拠」を探そうとするから病んでしまう。
結局のところ、一生懸命に「証拠」を探す生き方をしていると病むんですよ。誰かの意見ありきだから、どうしても人の意見に左右されて、心の状態がフラフラしてしまいます。
自分自身の状態がよくなったかどうかは、他人じゃなくて自分が一番よく分かっているはずなんですよ。まずは、それを信じてみようよ、ってことが私は言いたい。
その感覚を信じることこそが「自信」だと思うんですよね。
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