社会を呪ったままで、生きていく…?
こんばんは。心理カウンセラーのキタダハルキです。
私は、心理カウンセリングの仕事をしている一方で…カウンセリングの力を過信はしないように、ということも同時に考えています。
身もふたもないことを言うと、カウンセリングは要らない人にとっては、一生、要らないものでもあります。何の問題も感じずに、そのままで生きていければ、それはもう素晴らしいことだと思います。
ただ…必要としている(であろう、と私が勝手に思っている)人には自然な形で届けばいいなと思って、こうやってブログを書いているわけですが…。
今回は、そうやってこのブログに辿り着いてくれたかもしれないあなたに向けて、お話ししたいと思います。
目次
■「恥」を捨てたから、いい流れでいけた。
これはあくまで私の体験談ですが…
自分自身が抑うつ症から半年以内で冷静に次の仕事がどうのこうの、 って話をできるようになったのは、ある意味で「恥」を捨てたって側面もあることは否定できないんですよね。
その恥の中身っていうのが…
- 精神科にかかるのって、社会的に恥ずかしい…
- こんなことで病院に行くのって、情けない…
- 自分は弱っちいんじゃないか…
こういう感じのヤツ。
そういうのを振り払って精神科に飛び込みでかかったおかげで、運よく当時の先生にカウンセリングをしてもらい、過剰な投薬をされることもなく、っていい流れでいけたんですよ。
本当に、今でもそのときの先生には感謝しています…。
■よくぞ、社会を呪ったりせず素直に助けを借りてくれた。
で、これは過去の自分自身に感謝したいところなんですが…
よくぞ、社会を呪ったりせず素直に助けを借りてくれた、ってこと。
当時の私の状況は、リーマンショックの煽りを受けて就職難⇒2年かかってやっと就職⇒その会社で人間関係が破たん…という状況だったので、社会なんてクソ喰らえだと思っていてもまったく不思議ではなかったと思うんです。
でも、ヘルプをきちんと出せた。病院のおかげで会社にも休職を通せた(よくよく考えると、休職をすんなり許可してもらえたこともありがたかったんだな、と…)。
そのおかげで、いまこうして元気に楽しく、生きているんやなと思います。
■頑張れないなら、頑張れません、でいい。
だから、私が思うのは…
自分の状態に素直であってほしい、ということ。頑張れないなら、頑張れません、でいいと思うんです。
メンツがどうのこうのやなくて、まず自分自身のことだけを考えて、自分に一番必要なことをまっすぐ求めていく。
そうすれば社会に存在する「助け」に目が向いて、流れが変わってくると思うんです…。
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