「新しい」は、自分で見つけなきゃ。
こんばんは。心理カウンセラーのキタダハルキです。
本日はこちらの記事を見たことから着想を得て、お話しします。
※今朝起きて大変驚きました…。ご冥福をお祈りいたします。
そういや、野村監督ってかなり本出してたよなーと思いましてね。
野球あんだけやってて、いったいどうやってあんなに勉強しはったんやろうなと興味がわきまして。そのきっかけがあるかもなと思ったら…やはりありましたね。野村さんが師と仰ぐ草柳大蔵氏に勧められたというのがコチラの本。
※まだ私は読んでいません。
で、どんな本なんやろうと思ってレビューを見ていたらおおむね、絶賛。
その一方で、この本の批判的レビューが目に留まったんです…。
目次
■こんなの、ネットで発信できる時代には何にも新しくない。
その批判の要旨は…
「こんなの、ネットで発信できる時代には何にも新しくない」
っていうモノでした。
私はもう、ため息でましたよね…。
こんな発想してるうちは、まぁうまくいかんやろうなと…。
■新しいから価値がある、旧いから価値がない?
なんでうまくいかんのか。話はカンタンで…。
新しいから価値がある、旧いから価値がないって考えが透けて見えるから。
こういう思考回路を持っていると「新しい」だけでありがたがってしまって本質的価値のないものに踊らされるし、もっというと「旧いものの中に今もしっかり通用するね、これ」というモノを発見する力の妨げになる可能性が非常に高いわけですよ。
つまるところ、騙されやすい考え方やんと思うんです。
■「新しい」は、自分で拾いに行くもの。
私はね、新しいとか古いとかどうでもいいんです。
単純な話、どういうコンテンツだったとしてもそこから「何かを拾おうとするか」で違いが出てくると思うんですよね。
どんなにいい話が書いてあったって、古臭いとか思って心を閉じていたら、役に立つもんも役に立ちませんで。新しいもんがひとりでに与えられる、なんて思っていたら大間違いやと思います。
新しいかどうか、やなくて、実践に繋げていきましょうや、と私は思うんです…。
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