認められたい、その気持ちは裏目に出ているかも…。
こんばんは。心理カウンセラーのキタダハルキです。
最近、改めて感じることがありまして…。それは、認められようとすればするほど、かえって人を遠ざけるよなぁ…ってこと。
私自身、起業初期のことを考えると恥ずかしいな、と思うこともあります。
そのときはとにかく必死だったから、とは思うんですが、ブログを一日5記事ペースとかで上げたり、こういう成果が出た、みたいなことを必死に話したりしていたと思います。
で、もちろんこのころのことが礎になって今がある、ってのは思いますけど、いま、当時の私のような状態の人がいたら「やり方、ちょっと変えてみた方がいいかも…」って話をすると思います。今日は、なぜその「認められるための必死さ」を変えた方がいいか、ってことをお話ししていきたいと思います。
目次
■認め「られる」のは、他人ありき。
認められようとする動きって、文字通り認め「られよう」とするわけじゃないですか。
つまるところ、認めてくれる人ありきの行動になってしまうわけですよね。
例えば…よくいるじゃないですか。通称「キラキラアカウント」みたいな人。
※キラキラアカウントの詳細については以下をご覧ください…。
こういう行為が裏目に出るのって、あたし、こんなにすごいのよ!幸せなのよ!とアピールすることによってその「すごい、幸せ」という評価を強制させようとしてしまうところにあると思うんですよ。
ただ、その結果って「お察し」ですよね。評価されるどころか、むしろイタイ人、ウザい人としてこっそり(これもヤバい。ハッキリ言われないからなかなか直らない)敬遠されてしまうわけです。
■認めさせようとしていたから、嫌われた。
で、私の起業初期もそれやったなぁ、と思うんです。
ブログを読ませたい(これは意識上)、というか、稼げるんだぞ!仕事できるんやぞ!ってことを見せたい(これは無意識でした…)一心でSNSにアップしていた結果、人がジワジワと離れていった経験、ありますもんね。当時は「しまった、嫌われた…」とか思ったりもしましたけど、時すでに遅し、というか…。
特に、最近は「炎上」って言葉が辞書に載るぐらい、他者に対する目線ってかなり厳しいものがありますから、一度強く嫌悪感を抱かれたらなかなか再起が難しいところもあるんですよね。
■評価させるためだけの仕事になっていないか、確認しよう。
だから、私はブログでもメルマガでもそうですが…アップしたりする前に「それ、ホンマに必要?認められるためだけにやろうとしてない?」って問いかけはするようにしています。
そしたら、不必要に人に認められたい気持ちは薄れてきたと思いますし、なにより人から「マジメに仕事してるんやな」と評価してもらえる機会が増えたんですよね。
これは会社の仕事にも共通していると思うんですよね。
本当に言わなきゃいけないことなのか、本当に、やらなきゃいけないことなのか。評価させるためだけにやろうとしていないか。
一度立ち止まって考えてみるのがいいと私は思います。
★今、すべきことはなんなのか。それを考える上で以下の記事も役立ちます…。