普通、ってなんぞや。
こんばんは。心理カウンセラーのキタダハルキです。
私、かねてからコンプレックスだったことがありましてね。そのコンプレックスっていうのが、どうも「普通」になれないっていうこと。どうしても集団の中で目立ってしまうというか、それを気にするきらいがあったんですよね。
例えば、私は学校の授業とか全部をしっかり真面目にやり切ることをよしとしていたんですが、その真面目さが普通ではなかったらしく、なんとなくバカにされたりとかね。こういうの、いっつもイヤでしたね。でも、サボるのは自分の主義に反するからそれもイヤだ、ってな感じで板挟みに遭っていたんですよね。
それゆえ、どうしても自分の道が「普通」なのかどうかはかなり気にするようになってましたね。普通でなければ、バカにされて嫌な思いをする。だから、できるだけそういうのを見せないように…っていう道の選び方をしていました。
するとまぁ、人生が全然楽しくなくなったんですよね。普通ばかりを目指していたから、なーんにも心が動かないし、普通から少し外れるとツライ、みたいになってました。これも、抑うつ症になった大きな原因のひとつなんですよね。
だから、こういう考え方は止めないとな、と思ったんです。そこで今日は、そんな「普通になりたい症候群」みたいなものをどうやって克服したのか、それをお話ししたいと思います。
目次
■だいたい、普通ってなんなんですか?
この克服のきっかけはごく単純でした。
なんかの本で読んだんですが(たぶんIT系のエライ人w)、「だいだい普通ってなんなんですか?答えられるの?」ってな圧のある文を読んだんですよね。この文言にちょっとムッとした私は答えようとしました。
…しかし、答えは出なかったんです。回答例を挙げども挙げども、いわゆる「どこかの世界で定められた普通」であって、「万国共通の普通」みたいなものはひとつも出なかったんですよね。
■答えなき物で悩んでいたから、苦しいだけになった。
このときに気づいてしまったんですよ。答えのないもので悩んでいた結果が、ストレスを積み上げたんだってことにね。目標として掲げているものが何かを理解していない状態なので、いつまでたっても前に進むことが出来ませんし、未来もないんですよね。この状態は相当精神にダメージを与えます。
しかも、目標を達成できていない状態が長く続くと、自責の念が生まれてきます。この自責の念が大変厄介で、今回のようにゴールのない悩みを持ってしまうと、ただただ悩みが積み上がるだけで、苦しいだけになってしまうんですよね。
■自分にとって普通なら、それでいい。
だから私はもう、自分にとって普通なら、それでいっか、って思うことにしたんですよね。
結局のところ、気にしようがしまいが、どっかは普通だし、どっかは異常なんですよ。こんなの、接する状況によって大きく変わるから、気にするだけ無駄だな、って思ったんです。
だったら、自分の思う「普通」でいる方が、基本的にラクだと思うんですよね。要は、自分で自分を普通だと思っていれば、それでいいと思うんですよ。みんな、それぞれの普通でいい。そうすれば、相手も自分も尊重出来て、気分がだいぶラクになると思うんですよね。
★自分自身の感覚を大切にするためには、以下の記事も参考に…。