苦しいときの「吐き出し方」について…。
こんばんは。心理カウンセラーのキタダハルキです。
私は今から約8年前に、職場で発症した抑うつ症の影響で、勤務期間たったの半年(3か月は休職していただけなので)で会社を退職しました。この時は社会を呪っていましたね。愚痴を書いていたその当時のブログはおぞましい内容でした…。
ただ、その「おぞましい」ということを思えるようになったのはあくまで、元気になって数年たって振り返ってから、なんですよね。当時は必死も必死でしたから。
その状態のことを振り返ってみて「あぁ…これ、やってなくてよかった…」って思ったことがあったので、今日はそのお話を…。
目次
■ほぼ「身内寄りの独白」で済ませられたからよかった。
私、その「社会呪い期」のときの吐き出し口は「ブログのみ」だったんですよ。
ちょこちょこ短文で書いては吐き出し…ってことを繰り返していました。で、皆さんもある程度ご存知かと思いますが、そのレベルの素人のブログって有名人とは違い「見られることはほぼなかった」「ましてや拡散なんてしなかった」わけです(8年前という時代もありました)。
だから、ほぼほぼ独白で済んで、別にトラブルになることはなく、心配をしてくれた人だけが見てくれた(ついでに言うと、この仕事にありつくきっかけもつかめた)って側面がありました。
■Twitterで愚痴るのは危ない。
一方で、私は現在もそうですが…TwitterでのPR以外の情報発信は基本的に行っていません*1。仮に気まぐれでやったとしても、本当に害のない形になっているかは意識した上で、って感じです。
なぜこういう形をとるかって言うと…Twitterは正確に思っていることを話すには短文過ぎるし、そのくせ拡散力が異常に高いから。つまりは、曲がった形で話が広がる確率が高いからなんですよ。軽はずみで言葉足らずとしか言いようのない発言が問題になって、って状況、非常に多く目にしますからね。
それこそ愚痴なんて「拡散する必要ない」わけじゃないですか。だから、言うのであればせめてその場で完結する仕組み(鍵アカとか)にしておかないと何かあってからでは遅いんですよ。
■吐き出しは自由。だけど、「見られてもいいのか」は一度考えよう。
私自身、社会が悪いと思っていた時期はものすごく苦しかったですし、その想いを消化する先があったことは幸運だったと思っています。
ただ、その消化は「見せてもいいのか」「見られた結果、起きたことを受け入れられるか」ってことを意識した上でやることをおススメします。後々になって、あんなことネットに書き込まなきゃよかった…ってなってからでは遅いと思うんです…。
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*1:Twitterのみで完結する表現をしていない、という意味です。