謝るべきか、謝らざるべきか…?
こんばんは。心理カウンセラーのキタダハルキです。
最近、ネットやらニュースやらを見ていて思うのが…謝りベタな人が多くなったなぁということ。謝ればいいのに謝らずに延焼したり、はたまた「え…?それ謝ったらダメやない…?」ってことを謝ってしまったり…。
個人で仕事をしていても…というか、個人で仕事をしているからこそ、失敗に関しては当然、私の責。だからこそ、謝るべき事案かどうか、に関しては慎重に判断しています。今日はその基準の話でもしようかと思います…。
目次
■真っ先に謝るのはこういう事案。
まず、私が真っ先に謝る事案について…。
- データの間違い
- 予定の覚え間違い
こういう、いわば「誰が見たって間違い」と言えるものに関しては、もうできる限り早く対応することにしています。特に、数字関連の間違いなんて、争ってもしょうがないところ。
あと、意気揚々と意見を言うたはいいけど、反論されたりして後になって「自分も違うな…」ってことが分かってきた場合。これも謝る対象です。謝るというか…考え方が変わったことを素直に認める、という感じですかね。
■謝らない…というか、無視する事案も。
一方で、謝らない…というか、無視する事案もあります。
単純な話ですが、いちゃもんに関しては謝りません。
で、いちゃもんとは何か、ということを考えてみると…
- 意見が違うということに対する攻撃めいたもの
- 意見をこちらの意志に反して「変えさせようとする」もの
こういうものは謝らないというか、無視です。なんの返事もしません。何もしなければ、基本、粘着されることはありません。熱くなって反論したら、すっごいネチネチ批判してこられたことがあるんで、ここはもう徹底しています。
反論したところで、解決はしません。改めて強調したいところです。
■意見が違うものを、無理にわかってもらおうとしなくていい。
私が思うのは、なんかちょっと言われたぐらいで意見を取り下げたりせんでいいで、ってこと。その行為こそが、クレーマーみたいな輩がつけあがる最たる原因やと思います。
人を攻撃したりしていないのであれば、自分の意見は自分の意見でいいんです。それはもちろん、相手方もそう。お互い、ほっときゃいいんです。無理にわかってもらおうとすることにエネルギーを割かず、自分のすべきことに集中していっていいと私は思いますよ。
★自分のすべきことに注力するコツは以下の記事でお話ししています…