誰かに尽くす前に、まずは自分ありき。
こんばんは。心理カウンセラーのキタダハルキです。
私、長らく…具体的に言うと、中三ぐらいからですかね?「人のために」っていう生き方を課していた部分がありました。(なんでそういう生き方を課したか…っていうエピソードはこっちの記事に詳しく書いたのでこちらを読んでいただきたく思います。)
一応、人生の中では最大クラスの人間関係のピンチは乗り切れたんですが…この「乗り切れた」経験が仇になったというか、ちょっとした危機を迎えるのを怖がって、とにかく気を遣って生きていかなければ…って思うようになったんですよね。
そのままのマインドで、高校、大学…ここまではまだ大丈夫だったんですよ。ちょいちょいトラブルを起こしてはいましたけど、それでもカバーリングが効いていましたから。
ただ、社会人になったとき…このままでは通用しなかったんです。
一見、「人のために生きる」っていいことのように感じると思うんですが…なぜ、その考え方が通用しなかったのか。私の体験をベースにお話ししていきます。
目次
■ 「役に立てる要素」なんて、新入社員の私にはなかった。
社会人になって一番、今までの学生生活と違ったのが、「人のために」と思って役に立てる要素がなかったってこと。なぜなら何も知らない新入社員だから。
自分で言うのもなんですが、今までは「勉強」やら「楽器の演奏」やら、それなりにそこの環境ではリードできる要素があったから、「人のために」と役に立てることが多かったんです。
ところが、会社では、今までの蓄積は、なんの役にも立たない。
むしろ、介護業界(私の就職した先)の知識については、他の同期の方が大学で専攻していたりってこともあり、完全にリードされているっていう状態。これが非常にしんどかったんですよね。ただただ、ふがいないばかりで、仕事ができず、ましてや他人のカバーリングなんて、できるはずもない。
■今までの生き方を、崩すことができなかった。
それなのにも関わらず、私は「人のカバーリング」という今までの生き方を崩すことができなかったんですよね。それしかできないから、しょうがないといった形でね。
ですが、それが結局、役に立てない(仕事ができないから)。なおかつ、自分の仕事への集中力が落ちているから、本来やらなきゃいけないことができておらず、怒られる。
こんなことばっかりでしたよね。いま思い出しても、正直ガクッとくる部分があります。字面に起こしてみると、より情けない部分を感じるとともに、「そりゃー、仕事できんし病気にもなるわな…」ってため息が出てしまいますね。
自分のことはおろそか、人のことばっかり気にしてる、ってことですしね。
■「他人」より、まず自分ありき!
誰かのために、って姿勢は、倫理的な観点から見たら「立派」。おそらく、それは間違いないんだと思います。だけど、それが自分をおろそかにした上での「誰かのため」って人生は、報われないから止めようぜ、って思います。
自分自身を犠牲にして色々やっていると、そのときは他人のために何かができている(つまりは、役に立っている)ような感覚になります。
この感覚って依存性が高いんです。
自分を犠牲にしていれば「許される」んじゃないか、っていう欺瞞が出てきて、どんどん自分に対するフォーカスがなくなって、自分の人生なのに自分不在、みたいな状態に陥ります。こうなると、私みたいに病気になってからようやく自分を傷つけていたことに気付く、ってなってしまいがち。
で、正直私の場合は「自分自身の病気」って形で「自己犠牲をやめろ!」ってメッセージが出てくれたからまだ運が良かったなと思っていて。
もしそれが「衝動的な誰かへの暴力」なりで出てしまっていたら、恐ろしかったよなと思うんです。(私の元職場には、凶器になり得るものなんていくらでもありましたから)そういう意味で、ブレーキをかけてくれた抑うつ症には大感謝なんですよね。
ですので、今ちょっと仕事がうまくいかなかったり、自分のやったことが裏目に出たり…って感じているのであれば、人のことより、まず自分のことに集中することをおススメします。
そうすることで、まず自分がすべきことが見えてきます。それができて初めて、人のことも見て視野を広げる。そういう順序が自然だと思うんですよね。
★自分自身のことをまず優先するためには、こういう考え方が大切です。
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