大丈夫。会社、辞めても生きていけるで。

就職浪人してまで入社した会社を、抑うつ症のためわずか9か月で退職した私が、会社に所属しない道を選び、独立してメシを喰っていけるようになるまでに大事だなと思った心構えについて綴ったブログです。

備えるだけだと、むしろ憂いの元になる。

備えた瞬間に、落とし穴が待っている。

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こんばんは。心理カウンセラーのキタダハルキです。

先日、某テレビ番組を見ていたときのこと。確か、オーバー60の方々に「このことわざは信じるな!」みたいなニュアンスの企画をやってたんですよね。いろいろなことわざが出てくる中、印象に残ったのが「転ばぬ先の杖」。なんでも、転んで転んで、その中から学んでいけばいい、ってな話でした。

この話を聞きながら、ふと思い出したことがありましてね。というのも、ビビり過ぎちゃう?ってぐらいに備えあれば…とか、失敗を怖がり過ぎだと思うんですよね。しかも、私自身がいわゆる「備えゆえの落とし穴」にはまってしまったことがあるので、なおのことそう思うんです。今日はそんなお話しをお送りします。

■これでは、準備をした意味がない!

今まで、いろんな「落とし穴」にはまってきましたが(笑)、もっとも代表的かつ分かりやすいのが「震災備蓄」です。

結果から言いますと、非常食管理できずに腐らせてしまいました。しかも、当時子供だったとはいえ一応私は阪神大震災の経験者。それでも、いつの間にやら喉元過ぎればなんとやら、になってしまっていたんです。東北の震災で思い出したころには、期限が切れてました…。加えて、ライトも電池が中で液漏れして破損。使える状態にはなかったんですよね。

これじゃあ、ホンマのホンマに、まったく意味がないわけで。

■「備える」感覚が強すぎると、逆に結果が出しづらい。

正直「備える」って感覚は、強すぎると結果を出しづらいと私は思うんですよね。

というのも、備えたらそこで安心感が得られてしまって、どうしても「ゴール」してしまいがち。人間、ゴールした、目的を達成したものの記憶ってどうしても「優先順位を下げてしまう」じゃないですか。

でも、震災備蓄って「準備」がゴールではなく「使う」ことが目的ですよね。だからこそ、準備して終わりじゃなくて、定期的に記憶に戻すために、いついつチェックするとか書いたシートなりを貼り付けておいて、適宜確認しとかなアカンわけです。

■備えきれないなら、無理して備えなくていい。

「備えあれば憂いなし」って言葉もありますが…その備えが実は使えなかったと知ったときには憂いでは済まず、狼狽しますよね。そんなことになるぐらいなら、転ばぬ先の杖、なんて要らんわけですよ。杖のせいで転んだ、って話になったら笑えへんしね。

備えをするならば、それこそパーフェクトに、ぬかりなく、ですよね。それができんなら、無理して備えに必死にならなくていいと思うんですよね。