怒り爆発は、自分のせいだった…
こんばんは。心理カウンセラーのキタダハルキです。
さて、ブログを書こうとしてふと、思い浮かんだことがあったので今回はその話をしたいと思います。
何回かこのブログでもお話ししたかもしれませんが、私は別に、会社を辞めてから別に順風満帆だったわけでもなんでもなくて、自分自身の怒りが爆発するようなトラブルだって起こしてしまったこともあります。
このとき、覚悟はしていたものの、私の周りから人がサーーーーーーーっと離れていきました。
ただ、このトラブルって「渦中」のときはただ怒りにまみれていたので全然わからなかったんですが、よく心理学で言われている通り、自分の感情は自分の責任、というか…結局、自分が自分をマネジメントしきれていなかったんやな、ってことだと思います。
では、結局私は、自分の「何を」コントロールしないといけなかったのか。今日はその話をしていきたいと思います。
目次
■「感情」は、もちろんコントロールしなきゃいけなかったけど…
もちろん、怒りが爆発したってことなので、その現象だけを見ると「感情」をコントロールしないといけなかった、ってことになりますけど…そもそも、なんでそんな怒りが爆発するような事態を招いてしまったのか、そこに着目せんと今後、また同じようなことを起こしてしまいかねないわけでね。
ちなみに、いまはそんな「怒り爆発」みたいなことはありません。マジな話、そのときが最後なので8年以上、激怒はしていません。
ってことは、私が今やってる考え方はそこそこ、感情をコントロールするという意味では適切だ、とも言えると思うんですよね。
■努力しないとできないことからは、一切手を離した。
では、その怒り爆発当時と、いま。一番何が違うのかと言うと…
今は努力しないとできないことから、一切手を離している、ってことなんですよね。
思えば、怒り爆発当時は、ブログの更新だって今より頑張っていたし(他にもブログを抱えていた)、なんとか新たな可能性を!と思ってイベントの立ち上げやらなんやらと、とにかく「頑張っていた」んですよね。頼まれてもいないのに。
もちろん、その頑張りがあったからこそのいま、ってところは当然ありますが…それでも「ただの頑張り」でしかなかったところは、どうしても思ったほどは「実」を結ぶことはなかったですよね。
■頑張りを「勝手に」やる分にはいいけれど…。
頑張りはね、勝手にやる分には全然問題ないんです。それはそれで「個人の自由」。
だけど、それを元にイライラして周囲に当たったりするようではいけない。その時点で、報われっていう「絶対に自分ではコントロールできないもの」に意識が囚われてしまってますからね。
※この記事でも、そんな話しましたね。
kantanstresskaisyou.hateblo.jp
だからこそ、やれるときに、やれることを、ってのが大事なんですよね。
タイミングが合っていないなら待てばいいし、どうしてもやりたくないならやらなくていい。 無理をすれば、その分が自分の責任を持てる範囲を超えて飛び出してきてしまいます(私の場合は、それが大激怒という形になりました)。
努力をしたとしても、その努力に他人が「報いなければならない」なんてルールはありません。ハッキリと言いますが、それは思い込みに過ぎません。だからこそ、行動の責任は自分自身にある、ってことは改めて落とし込んでおかないと、と思うんですよね。
★それでも報われたい!って思ったらこの記事をお読みいただけたら、と思います…。