大丈夫。会社、辞めても生きていけるで。

就職浪人してまで入社した会社を、抑うつ症のためわずか9か月で退職した私が、会社に所属しない道を選び、独立してメシを喰っていけるようになるまでに大事だなと思った心構えについて綴ったブログです。

テキトーに「部分点」さえ取れればいい、と思っとくとラク。

とりあえず、部分点でいい。

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こんばんは。心理カウンセラーのキタダハルキです。

私は一生懸命、学校の勉強をしていたこともあり、答えが合ってるのか、間違っているのかということは結構気にしながら生きてきました。特に、理数系のテストは間違っていたらほぼ終わりなんで、いつも気持ちが落ち着かなかったのを思い出します。

その一方で、好きだった文系教科は「答え」がいくつもあっていい、ってところが好きでしたね。国語や英語は部分点の常習犯でしたね。完答できずともいいや、っていう脱力度合いが、精神をラクにしていたんじゃないかと思います。

さて、なんでこんな話をしたかと言いますと…人生って、答えがないじゃないですか。ってことは、いくつも正解があっていいわけですよね。そこで思うのが…テキトーに、部分点さえ取れればいい、って思っとけば楽なんじゃないか、っていうこと。以下で詳しく説明していきますね。

■部分点だろうが、点は点。

例えば、仕事一つでもそうだと思うんですよ。

いきなり完璧にやろうとしたって、まぁ無理じゃないですか。でもどっかは出来ているわけで。そこを部分点を取った、として気持ち上持っておくんですよ。

そうすれば、少なくとも「できなかった」として不正解にするよりは点数が高いわけですよ。気持ちとしては絶対にこっちの方がラクですよね。部分点だろうが、点は点ですし。

■正解は、部分点の上に成り立っている。

そんでもう一つ大事なのが、正解っていうのは「部分点」の積み重ねの上に成り立っているってこと。

それこそ、漢字ひとつ書くのでもそうですよね。「字」っていう字はうかんむりと子の組み合わせから成り立ってるじゃないですか。もちろん漢字テストでは「字」と書けなければ×です。ですが、うかんむりは書けた、とか子は書けたというように「部分点」を自分の中から導き出していくことはできますやん。

こういう風にしておけば、次やることはできてなかったところだけ、ですから負担も軽いんですよね。

■どっかは合ってるし、どっかは間違ってる。それを許す。

私は、おそらく完璧に出来ることなんて、ないです。自分ではこれは満足!完璧!って思ったとしても、それが人から見たらどうか、って聞かれたら、そうじゃないかもね、とも思います。

ですが、とりあえず思っているのは、どっかは合ってるし間違ってるやろな、ってことです。それをバランスよく、どっちも見るってのでいいんちゃう?と思ってます。完全に間違っていることもなければ、完全に合ってることもない。ただ、こういう現実を許していれば、自分にも人にも、優しくできるんじゃないか。そんな風に思うんですよね。