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大丈夫。会社、辞めても生きていけるで。

就職浪人してまで入社した会社を、抑うつ症のためわずか9か月で退職した私が、会社に所属しない道を選び、独立してメシを喰っていけるようになるまでに大事だなと思った心構えについて綴ったブログです。

「気が利く」と「おせっかい」の差って、いったい何だろう?

気を利かせたつもりなのに…

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こんばんは。心理カウンセラーのキタダハルキです。

あなたの周りにも、いわゆる「気の利く人」っていると思います。いつも気が付いて、いいタイミングで助け舟を出してくれたり、うまく先回りして、仕事がやりやすいようにしてくれる…とってもありがたい存在、ですよね?

ところがその一方で、気を利かせようとしているのは分かるんだけど、なんかスベッてるというか、うまく助けにならない…むしろ、「おせっかい」だと疎まれる…そんな方もいますよね。

例えば、鍋奉行などがいい例です。頼んでもいないのに、さも気が利くかのように仕切ってきて、結局、食べたいときに食べたいものが食べられない…こんなん、イヤな思いしかしないですよね。

それでは一体なぜ、このような「差」が生まれてしまうのでしょうか?そこには、とあることがらの「理解」に差があったんです…

■気が利く、って評価は相手ありき!

その「ことがら」とは、気が利く、っていう評価が「相手」の評価があって初めて成立する、ってこと。これを理解しているか否かで、「気の利く人」か「おせっかい」か、評価が分かれていくんですよね。

鍋奉行の例でお話ししましたけど、気を利かせようとする方は、気が利くということを自分のステータスの一部にしようとして、その評価を相手に強いてしまっているんですよね。自然発生的でない、と言いますか。

だから、される身としては「気が利く」って言わされているような空気になって、イヤな気持ちになるんですよね。他人のためにやっているように見えて、自己顕示(ex.ほら、気が利くでしょ私!?)のためにやっているんだなと思われるのがオチです。

…こんなことになるなら、やらん方がマシですよね。

気が利くことは、相手がどう思うか、ってことありきです。つまり、自分でどうにかしようとするものではありません。ここは本当に本当に大事です。

むしろ、人は「いい評価を強制される」ことに対して強い嫌悪感を抱きます。実際の意志とそれが乖離していればいるほど、その嫌悪感は強くなります。要は「おせっかい」って、思ってる以上に嫌われるんですよ。ここも非常に大事。

■相手の意向を聞きながら、無理なくやればOK。

ですので、気を利かせようと考えすぎなくてOKだと私は思います。やるとしたら、相手の意向を聞いてから「やっときましょうか?」ぐらいの提案をする。これぐらい「軽く」ていいと思います。要らなきゃ断れるぐらいのフィーリング、ってのを覚えておくといいかと思います。

どうせなら、気を利かせたときに、喜ばれたいじゃないですか。だからこそ、自己判断で無理をして頑張りすぎずに、相手の意向を聞きながらやっていくのがいいと思います。